ブログトップ

センセのガッコ奈良

sensenogak.exblog.jp

いい教育がしたい!とがんばる奈良の先生のために

連載④ 保護者とのすれ違いを出会いにかえるために

■ すれちがいの発生する背景と克服への視点

日本の経済社会構造の大きな変化の中で

・新自由主義経済政策のもとでリストラ、非正規労働者の急増、成果主義賃金制、就職難、ワーキングプアー、格差社会、晩婚・少子化

・子育て・教育に関する意識が大きく変化、多様化

・女性の社会進出と地位の拡大、離婚や連れ子再婚の増加などにより、家族、父親母親像に対する意識も大きく変化、多様化

・「男は公共領域、女は家内領域」という性別分業の崩壊
  従来の家族、親モデルの消失と模索

・多忙な保護者(特に母親)には共同で子育てする環境が乏しい 分断され孤立させられている

・孤立無援感の中で、「自分は母親として失格では?」という強迫観念も

・メディアに無防備となり、「世間の評判」の中で、子育て競争させられている

・子どもとの情緒的つながりが精神的な支え、いきがいとなり、子どもと共依存関係になりがち

・一方、生活の大変さから余裕のなさや、母親役割だけの世界、子ども中心主義家庭から脱却しようとする女性の生き方は、ときに育児放棄とも思えるふるまいを見せることもある

・そんな孤独な母親たちにとって、不安をぶつける相手は学校、教師だけ というケースも多い

【克服への視点】


※「親ならこんなことは当たり前」「親として失格」など従来の家族観や母性観で、教師がこうした保護者と対応しようとし、「自己中心的で文句ばかりつけてくる」とばかりとらえていては、すれちがいは避けられない

・学校の「権威」、教師に対する信頼、協力意識は薄れ、相対的に見る見方、学校不信が広がる

・社会不安の中での子どもに関する事件、事故の多発と社会的注目の中で保護者の不安が増大

・教職員、公務員の不祥事の続出と学校、教師、公務員バッシングのひろがり

【克服への視点】

※「子ども市民」、教養の高い保護者、市民の誕生、広がりは、日本の民主主義の発展、成熟によるもの。それなのに、学校の教育活動に保護者が協力するのは当たり前という発想で「上」から保護者と対応していれば、すれちがいはますます根を深くするだけ。

※教師が保護者たちと共同しようとするならば、学校という「権力」の側に身をおいて向き合うのではなく、自らの直面している現実、困難、願いなどを率直に語りながら、一人の生活者として同じ弱者としてともに歩もうとすることで、保護者と共感的な対話を生み出していくことが必要なのではないか。

※学校が子どもや子育ての一定のモデルを保護者や家庭に押し付けられた時代は終わった。新しい、多様な保護者・家族像の模索・発見・創造・交流を学校教育の中でコーディネイトしながら、保護者たちの、子どもたちの共同の活動を共に創り上げていく時代になった。そういう方向性をもつ実践を進めていく上では、こうした保護者たちの変化は、新しい時代の学校の共同関係を築いていく可能性を広げるもので、むしろ歓迎すべきととらえることもできるのではないか。
[PR]
by sensenogakko | 2007-05-08 22:32 | 教育実践